ハザマ会議

視えない世界と話す人です。スピリチュアルカウンセラーやってます。いろいろな経験と視えない世界のおコトバと、あなたにメッセージが届きますように。

役立たず

 

 

 

皆さま、こんばんは。

ののあのあです。

 

おかげさまで見てくださる方も、増えてまいりました。ありがとうございます。

 

 

アナタは自分を役立たずと感じたことはありますか?

 

 

みんな、多かれ少なかれ、感じたことがある気持ちかなと思います。

 

 

 

情けないような、自分にがっかりのような。たとえ、自分を役立たずと感じても、平気な人も中にはいらっしゃると思います。

 

 

人それぞれですね。

 

 

かく言うわたしは、この役立たずな自分を認めること、人の期待に応えられない自分を見つめることが本当に苦手でした。

 

 

 

こうした方がいい、ああした方がうまくいく、そればかりでここまで生きてきました。

 

 

 

おかげで、小器用にいろいろなことを覚えましたが、当のわたし自身はなんだか自信がないままで、借り物の姿でどれほど褒められても自分のことを褒められているとは思えませんでした。

 

 

 

昔、友人に「ののあのあってさ、人のことばっかりやってるね」と言われたことがあります。

 

 

 

別にけなされてるわけでもないのに、ひどくショックだったのを覚えています。

 

 

 

だからと言って、その日から自分のためだけに生きていきます!とは、そう簡単にいかないもので。

 

 

当時のわたしは、抱えている仕事も、プライベートでの案件も非常に多く、まさに「そんなこと言われても、わたしがやらなきゃ誰がやるの!亅と、逆上しているしかありませんでした。

 

 

 

 

 

さて、そんなわたしは福祉施設で働きはじめた際、とっても大変な経験をしました。

 

 

 

「人のため」に何かをすることが得意だったわたし、いや、むしろそれしかしてこなかったのだから、障害者福祉の仕事はぶっちゃけオハコの分野だと思っておりました。

 

 

 

ところがどっこい。

働き始めた知的障害を持つ方々の施設では、常識など通用しない、タイマンの世界。

相手をやらなきゃ、自分がやられる、は言い過ぎですが(笑)でも、それに近い彼等の生き様がそこにありました。

 

 

 

わたしは、まずはじめに、素晴らしい諸先輩から「やってあげる」を辞めることを学びました。

 

 

 

人間とは、本当に不思議で厄介な生き物で、誰かにやってもらっているとき、その人はできたはずの「それ」をどんどんしなくていいことにしてしまうのです。

やってもらえるし〜と。

皆さまにも経験があると思います。

実家にいた時は、片づけなんて、洗濯なんてしなくていいから、できなかったのです。

一人暮らしをしても苦手な方もいますが、そういう方は、きっと本当に必要ないのでしょう。

家事ができないという悩みは、一人暮らしすれば大方解決します。

 

 

家事ができないから、一人暮らししないのではなく、一人暮らしをしないから、家事ができないのです。

 

 

 

それと同じで、利用者様の中には、できないのではなく、やらないからできないという場合があります。

何かを「やってあげる」ことは、=誰かの「できる」チャンスを奪うことでもあるのです。

 

 

 

生活支援員は、召使いや小間使いではありませんし、母親でも、友人でもありません。

 

 

 

もしも、できたはずのことを、できなくなった方がいれば、それは本人のせいだけではないかもしれません。

 

 

 

 

周囲がその人から、その役割を奪っているか阻害している可能性もあるのです。

 

 

 

 

 

当時のわたしにはとっても大変なことです。なんでも人に「してあげたい」病のわたしは立ちどころに自分の足元が心許ないことに気が付きました。

 

 

 

 

その時初めて、今までわたしは、人を、都合よく扱ってきたことに気がついたのです。

 

 

 

自分が人の用事で、手いっぱいでいれば、自分の弱さや、自分の情けない部分、役立たずぷりを見なくて済むから、人の苦しみを利用してごまかしてきたのです。

 

 

 

目の前にいる利用者様を、そんな風に、都合よく利用することは決してしてはならないと思いました。

 

 

 

その時から少しずつ、役立たずのままでいる練習をしました。

 

 

 

本当は自分でできることを甘えてできなくなってしまわないよう、わたしはそれはやらないよ。というスタンスを練習するのです。

 

 

 

もちろん、本当に難しいことや、できないことは支援します。

 

 

 

その「相手に本当に必要な支援」を、見分けるチカラこそ、熟練の経験や知恵や関係が物を言うことがわかってくると、障害者福祉の仕事が、一挙におもしろくなりました。

 

 

前に別の記事で、仕事の内容について詳しく書いたものがありますが、障害者施設で働くことは、今日がすべてなのです。

 

 

今日、丁寧にできなくては、明日、今日より丁寧に支援することは不可能なのです。

やっている本人が、気がついているかはわからないです。

不思議なことですが、そうなのです。

 

 

このときの学びは、私にとって、大変に素晴らしいものでした。

 

 

 

そのことを最近になって、ふ、と思い出すのです。

 

 

 

同じように、悩んだり、苦しんだり、戦っている方がいるのなら、大丈夫と伝えたいなと思うのです。

 

 

アナタは、役立たずで良いのです。

 

相手に障がいや病気があっても、すべて「やってあげる」必要は決してないのです。

 

それは、相手が誰であっても同じだと思うのです。

 

相手の方が強そうでも、賢くても、美人でも、偉そうでも、実際に偉くても、お金があっても、なんでも。

 

 

大事なのは、アナタがそこで、彼等を自分で目撃することです。

 

そして、アナタという存在を彼等が目撃していることも同様に、とても重大なことなのです。

 

 

「相手と向き合う」ことをあきらめなければ、そこには必ず自分と向き合う時間が待っています。

 

 

わたしたちは、目の前の人から、自分を見つけるヒントを頂いて生きているのです。

 

 

 

 

 

 

 

ののあのあ