ハザマ会議

視えない世界と話す人です。スピリチュアルカウンセラーやってます。いろいろな経験と視えない世界のおコトバと、あなたにメッセージが届きますように。

めぐる運命

ずいぶんと、ご無沙汰しています。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
今も見てくださっている方がいることに心から感謝します。

実は私事ですが、この空白期間の間に、4年ほどお付き合いしていたパートナーとの間に新しい命を授かりました。

予定は4月なので、まだ安定期に入ったばかりです。

結婚準備や、出産のための準備に追われ、もろもろ未だに落ち着かない日々です。

昨日までいなかった命が、今日自分のお腹にいるという奇跡は、本当に素晴らしい経験で、これからの未来を想像すると不安や焦りもありますが、その何倍も何千倍も、わたしのところへ来てくれた感謝と、周りの皆様の暖かいサポートへの感謝、そして何よりパートナーへの出会いからすべてのことに対する感謝で、胸がいっぱいの毎日です。

このようにおかげさまで元気よく過ごせている日々のなかで、それでも、試練は誰の身にも訪れますね。

タイトルにもあるように、運命というのか、それとも宿命なのかはわかりませんが、人の生まれてからのシナリオとは、本当に不思議で、神秘的なものであると実感するできごとがありました。


赤ちゃんが二分脊椎であるかもしれないと診断されたのです。


詳しくは検査中なので、まだわからないのですが、もしかしたら我が子は、いずれ障がいを持つことになる可能性が人よりも高く生まれるかもしれないようです。


このブログを読んだことがある方は、ご存知の通り、わたしは仕事として障がい者福祉にずっと関わってきました。



そして、この度、父となるわたしの愛するパートナーも、事故で身体障がいを負っています。


形は違えど、通常よりも、ずっとハンディキャップをもつ人々のことをたくさん考えてきた二人の元にやって来てくれる命が、障がいをもつかもしれないということ。


まずは、その事実に、わたしは巡り合わせというものを感じずにはいられませんでした。


週数が若い段階での、診断。

医師からは、「どうされますか? まだ、中絶も可能ですよ。」の言葉。


わたしたちの意見は完全に分かれました。

わたしは、「産む」。
彼は、「もし、重度の障がいであれば、あきらめてほしい」。



彼の意見は、彼ならではの考えだと感じました。
彼が当事者として、障がいを持った人々の苦しみが、痛いほどわかるからの覚悟のある言葉でした。


親だからこそ、その苦しみを味わわせるぐらいなら、自分たちが決めてあげたい、という切実な訴えでした。



わたしは、当初、何が何でも産みたいと思っていましたが、話し合いを進めるうちに、頑なに自分の意見に意固地になってはいけないと、思うようになりました。


様々な想像をしました。
様々な話をしました。
様々な涙を流しました。


でも、やっぱり、この子が苦しむばかりの日々か、幸せに笑う日々かを選ぶのはわたしたちではなくてこの子なんじゃないかなぁと思いました。

その一点において、障がいの有無や、病気の有無は、何も影響を及ぼさないのではないか、と。

そして、わたしたち二人なら、この子の笑顔のために、わたしたちができうる限りのサポートをきっと選択できるし、寄り添っていけるんじゃないかな、とも。


揺れに、揺れる心を、それでも、固めてくれたのは、やっぱり今まで出会ってきた、障がい者と呼ばれる方々の、屈託のない笑顔や、何気ない日常でした。


そうか、わたしは、この決断のために、1人の母として命を生み出すことの本当の責任を考えるために、障がいをもつ方々との日々を通して経験してきていたんだなぁ、とつくづく思いました。


全ては、つながるし、これからもつながっていくのですね。


まさに、めぐる運命。


そのことがわかった時、全く迷いなく、覚悟をもって、彼に「わたしたちなら、大丈夫だから。そして、この子はわたしたちの子だから、この子もきっと大丈夫だから。気休めに聞こえても、わたしは信じたい。もし、苦しく、辛い日々が待っていてもその何倍も何千倍も、幸せが待っているよ。」と伝えました。


最初は、なかなか納得できない様子だった彼が、ずいぶんと時間をおいて、「赤ちゃんのことは、経過を見守っていこう」とポツリと言いました。


わたしは彼のそのぶっきらぼうな言葉に、平行線だった議論を乗り越えて、彼とわたしと新しい命と愛しいペットで家族としての未来を歩もうとしていることを感じました。



そうか、家族って、こうやって少しずつ家族になっていくんだなぁ。



めぐる運命に、惑いつつ、立ち向かいつつ、そして、何より逆らわずに、しっかりと受け止めて生きていくことも、やはり、障がいをもつ方々がわたしに教えてくれたこと。


やっぱり、わたしの方が一方的に支援していただけではなかったのですね。


少しでも、この素晴らしい事実が、誰かの耳に届きますよう、久しぶりに筆をとりました。



長々と読んでくださってありがとうございます。



また少しずつ書きたいときに、書きたいこと書いて行けたらと思います。


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